1995年1月17日、小学生だった僕が感じたこと。そして今。
Penseur
2017.01.19
2017年1月17日朝5時に目が覚めた。
少しうなされた夢を見て、起き上がった。
あまり夢を見ない僕が夢を見ていた。どんな夢だったかは覚えていない。
でも目が覚めて、寝れなくなり、テレビをつけたら朝のニュースがやっていた。
そうすると、目の前の映像を見てハッと気づいた。
1月17日は、阪神大震災があった日。
1995年(平成7年)1月17日5時46分。
小学6年生の僕は神戸にいた。
あの記憶が体に覚えていたのか、22年経って目を覚まさせた。
嘘みたいな本当の話。
今でも忘れない子供ながらの恐怖感。
当時布団を引いて一人で寝ていた僕に、本棚と着物ダンスとテレビが襲い掛かった。
揺れていた時間は5分くらいだったみたいだが、僕には1時間くらいあったような恐ろしい時間。
父親が頭から血を出しながら僕の部屋に駆け込んだ来たこともすべて鮮明に覚えている。
怯えて震えながら、冷たくなったおでんを朝食べたことも忘れはしない。
近くにいたおばあちゃんの家が半壊し、父親と大声を出しながら、おばあちゃんを救出したことも忘れない。
信じられない光景が目の前に広がっていた。
コンビニやスーパーに行ったが全くご飯も売り切れてなかった異常な売り場。
3日間家の中にあった食べれるものを食べていた。
水も出ない。お風呂に入れない。
ガスも出ない。電気もない。すべてのライフラインがない。
そんな5日間が続いて、自分の毎日が一瞬で変わった。
阪神大震災。
小学生の友達も亡くなった。
卒業式は、卒業を祝う式ではなく、亡くなった方々をお悔やみする式だった。
22年経ち、大人になり、時間が忘れさそうとしても体は覚えていた阪神大震災の記憶。
仕事も忙しい。
課題/問題もたくさん。
考えることいっぱい。
上手くいかないことがイライラすることも。
でも、1月17日が教えてくれること。
生きていることが幸せ。
仕事が出来ることが幸せ。
壁に当たって、悩んで挑戦で来ている自分が幸せ。
毎日ご飯が食べれることが幸せ。
今も神戸に住んでいる。22年で見事に町並みはキレイになり、昔壊滅した街とは思えない。
でも実際に経験したあの忌々しい天災は、今でも自分の中に生きて、自分の存在をもう一度考えさせてくれる。
毎日全力で悔いなく生きることを大切にしよう。
大事な物を忘れずに。
少しうなされた夢を見て、起き上がった。
あまり夢を見ない僕が夢を見ていた。どんな夢だったかは覚えていない。
でも目が覚めて、寝れなくなり、テレビをつけたら朝のニュースがやっていた。
そうすると、目の前の映像を見てハッと気づいた。
1月17日は、阪神大震災があった日。
1995年(平成7年)1月17日5時46分。
小学6年生の僕は神戸にいた。
あの記憶が体に覚えていたのか、22年経って目を覚まさせた。
嘘みたいな本当の話。
今でも忘れない子供ながらの恐怖感。
当時布団を引いて一人で寝ていた僕に、本棚と着物ダンスとテレビが襲い掛かった。
揺れていた時間は5分くらいだったみたいだが、僕には1時間くらいあったような恐ろしい時間。
父親が頭から血を出しながら僕の部屋に駆け込んだ来たこともすべて鮮明に覚えている。
怯えて震えながら、冷たくなったおでんを朝食べたことも忘れはしない。
近くにいたおばあちゃんの家が半壊し、父親と大声を出しながら、おばあちゃんを救出したことも忘れない。
信じられない光景が目の前に広がっていた。
コンビニやスーパーに行ったが全くご飯も売り切れてなかった異常な売り場。
3日間家の中にあった食べれるものを食べていた。
水も出ない。お風呂に入れない。
ガスも出ない。電気もない。すべてのライフラインがない。
そんな5日間が続いて、自分の毎日が一瞬で変わった。
阪神大震災。
小学生の友達も亡くなった。
卒業式は、卒業を祝う式ではなく、亡くなった方々をお悔やみする式だった。
22年経ち、大人になり、時間が忘れさそうとしても体は覚えていた阪神大震災の記憶。
仕事も忙しい。
課題/問題もたくさん。
考えることいっぱい。
上手くいかないことがイライラすることも。
でも、1月17日が教えてくれること。
生きていることが幸せ。
仕事が出来ることが幸せ。
壁に当たって、悩んで挑戦で来ている自分が幸せ。
毎日ご飯が食べれることが幸せ。
今も神戸に住んでいる。22年で見事に町並みはキレイになり、昔壊滅した街とは思えない。
でも実際に経験したあの忌々しい天災は、今でも自分の中に生きて、自分の存在をもう一度考えさせてくれる。
毎日全力で悔いなく生きることを大切にしよう。
大事な物を忘れずに。