ノスタルジック
Penseur
2017.12.01
先日、弊社広報部のきーちゃんが
みのおキューズモールプロジェクションマッピング クリエーターズオーディション授賞式(11月3日開催)
について書いていました。
私、BOZEもそのオーディションイベントに微力ながら参加させていただきました。
10月の中旬より、オーディションイベント会場の下見や
12月1日から流れている弊社で制作した、冬期限定プロジェクションマッピングの打ち合わせのために
みのおキューズモールに出向くことが多くなりました。
打ち合わせの時間よりも早く着くことがあると
私は決まって、モール内のペットショップを訪れるようになっていました。
生まれて3ヶ月ほどの柴犬の赤ちゃんに会うことが何よりの楽しみとなっていたからです。
私も小学5年生の時に祖父におねだりして柴犬を飼っていたので懐かしくて。。
ノスタルジック(セピアに色あせた心象風景が一瞬色づく。。。)な気持ちが妙に心地よくて。
小学生の私の家には当時大ブームだったファミコンがありませんでした。
だから、学校帰りに同級生の家に行って夕飯前までファミコンをして帰宅するという日常を送っておりました。
その同級生の家には門と玄関の間にドーベルマンが2頭、檻の中で飼われており
遊びに行くたびに私を食い殺さんとばかりにとがった牙をむき出しにして
雷鳴とどろくかのように吠え続けるのでした。
噛まれてしまえば檻の中に引きずり込まれ、命乞いもむなしく
いや、そんなひまも無く、骨を砕かれ
肉をむさぼられる音を聞きながら死んでいくのだろう
自分の身に起こる残酷な悲劇をいとも簡単に想像できるような、それはそれは恐ろしい黒い塊の生き物でした。
毎週楽しみにしていた関口宏のわくわく動物ランドで流れる、サバンナの草陰に隠れて
肉食動物をやり過ごすインパラの気持ちを誰よりも理解できる小学生だったと思います。
門から玄関までの往復に味わう死の恐怖に怯えながらも
私がハマっていたファミコンのゲームは、おばけのQ太郎のワンワンパニック。
犬に恐怖心を抱くQ太郎に誰よりも共感できた私は
クラスで一番Q太郎を操るのが上手かったと思います。
ゲームだけど、遊びじゃあないんですから。。
Q太郎を起用にゴールへ導く私をクラスの誰もが認めてくれました。
「承認欲求」
子ども心には、それが何なのかわかりません。
ヒーローになった気分とでも言いましょうか―――。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」
約1ヶ月で、ワンワンパニックブームはクラスから消えてしまいました。
次に、ワンワンパニックのカセットを見たのは公園の砂場でした。
それからの私はというと公園に咲くつつじの蜜をヤケ飲みし、友達のドラゴンクエストのレベル上げを
ひたすら横で眺める毎日でした。
つまらなくなった日々を救ってくれたのが
祖父におねだりし、飼ってきてくれた柴犬でした。
ドーベルマンは恐怖の対象でしかありませんでしたが
コロコロの柴犬の赤ちゃんは愛おしさの象徴でした。
言葉はお互いに通じはしないけれども
(ワンワンパニックを失って)今や何のとりえもない等身大の私を心の底から愛してくれていた柴犬でした。
だんだん大人になっていく私の背中を玄関で見送ってくれて
大学に合格した喜びや、失恋の悲しみを誰よりも共感してくれていたようでした。
青春時代をともに過ごした柴犬は、私が社会人2年目の12月の終わりに約15年の生涯を終えました。
モールの柴犬の赤ちゃんを眺めていると、とてもやさしい気持ちはもちろんのこと
心の思い出のアルバムを一気に眺められたような、とても懐かしい気持ち。
もう二度と戻ってこない、あの頃に一瞬戻れたような気持ちになれたのです。
ノスタルジック(セピアに色あせた心象風景が一瞬色づく。そして、その心象風景に意識が満たされる。)
みなさんも、ぜひ、家族で、友達と、恋人と
みのおキューズモールのプロジェクションマッピングを楽しんでいただき
30年後に何かのふとしたきっかけでノスタルジックな気持ちに浸れる素敵な思い出をお作りください。